3人目出産レポその3です。
病名がわかりなんとなくの不安がなくなったのも束の間で、酸素濃度が70以下になったため挿管されることに。
動いて管を抜かないようにするために薬でこん睡状態を維持することになりました。
末っ子出産記録↓
2週間の経過観察
泣いた時だけ酸素濃度が下がるため挿管は一時的な処置とのこと。
とりあえず2週間後に抜管し、声帯の動きを見て今後を決めましょうとのこと。
毎日面会には行くけれど、私が行く時間はウトウトしていることが多く夜中に目が開いてましたよ~とよく看護師さんから聞きました。
退院はまだもう少し先になりそうということになったのか、看護師さんと私がやり取りするためのノートを用意してくださいと言われました。ノートは娘や息子にもいろいろと書いてもらったりもしました。
抜管の日
挿管から2週間たった2月1日。いよいよ抜管することに。管を抜いてその後声帯を確認しますとのこと。
待合室で待っている時間が長い・・・上ふたりのことも気になるしずーっとそわそわしてました。
外来の耳鼻科から戻ってきて担当看護師さんが「OK」サインを出してくれました。
抜管して検査で良くなかったら気管切開と言われていたので「大丈夫」という意味なのか・・・?と不安に思いながら説明室へ。
声帯麻痺は確定だけど安静時は正常に動いているから今すぐに気管切開ということはない、ただだからと言って今すぐ退院できますという状況でもないとのことでした。
お姉ちゃん・お兄ちゃんと初対面
抜管してから安静にする薬でむくんでいた顔もすっきりしだし、母乳もあげれるように練習が始まりました。上2人の時より母乳の量が少なかったのでやっぱり精神的にストレスを感じていたんだと思います。
抜管から1週間後に直接胃に送っていたチューブも抜くことに。点滴やチューブ類がなくなって沐浴が少し楽になってきたけれど体重が増えてきて片手で支えるのが難しくなってきていました。
入院生活も慣れてきて看護師さんとも仲良くお話したり私の精神面はかなり落ち着いてきていましたが、「退院」という言葉はなかなか出てこない日々が続いていました。
2月中旬に末っ子と長男の耳鼻科受診日がたまたま同じ日になることがありました。長男はずっと滲出性中耳炎で同じ病院に通っていました。
ついに弟に会える!ということで、長女も長男も大喜び!耳鼻科の待合で少し待機しているとコットに乗った末っ子がゾロゾロとお医者さんを従えて登場(笑)インフルエンザの季節でもあったのでマスクをして消毒して・・・・と普段はあまり言うことを聞かない(笑)長男も弟のためにがんばっていました。
家族5人揃っての写真撮影は病院の耳鼻科外来待合というなんとも不思議な状況でした。
NICUからGCUへ
抜管してから3週間後ぐらいにNICUからGCUへ移動となりました。ベビーコットには収まらないほど大きくなってきたのと、この頃から私も慣れてきたのが泣いて酸素の数値が少なくなってもすぐに泣き止ませて落ち着かせることができるようになってきていました。小さかった泣き声も大きくなってきていました。ただ泣いた時のヒューヒュー音は変わらないままでした。
2月末には仲良くしてもらっていた女の子が退院することに!お母さんとはいつもお昼に話をして支えてもらっていました。自分も寂しくなるし、うちも早く帰りたい!という気持ちになるし容態が落ち着いているだけにもどかしい1か月でした。
セカンドオピニオン
GCUに移り、先生から他の病院へセカンドオピニオンを聞きに行ってはどうかと提案されました。
泣いている動画を撮影して、神戸にあるこども病院へ夫婦で行くことに。正直、小児科の担当医やカンファレンスしてもらった長男の耳鼻科の先生からも少しだけ話をさせてもらっていたけれど、多分どうにもできない状況なんだろうなという風には思っていました。気管切開したら呼吸は楽になるけれど生活が大変になる。しなくても良いかもしれないけれど呼吸がしんどい時もある。そういう状況で、退院どうする?っていう感じでした。
そして、セカンドオピニオンを聞いた結果は同じような回答でした。声帯麻痺が治ることもないと思うとも言われました。
ぶっちゃけ、わざわざ遠いところまで行って同じようなことしか言われないことに内心腹が立ちました。長距離ドライブで疲れるし、旦那とも険悪だし(笑)、労力に対して結果が微妙・・・というかなんとなくわかってたこと。そして自由診療なのでお金まあまあ取られるっていう(笑)戻って次の日に看護師さんにも思わず愚痴ってしまったけど、その見立てしかできないということがわかったから前には進めるよと言われなんとなく納得はしました。
長男の入院と末っ子の退院
セカンドオピニオンを聞いたことにより退院への弾みにはなったようで、なんとなく近づいてきている雰囲気になってきた3月、長男の耳鼻科受診で衝撃的なことを言われます。それは長男の鼓膜に入っているチューブを抜くということ。チューブが入っていていつか抜くとは聞いていましたが、外来でもできるから~と言われていました。ですが、長男がそれを拒否!!入院して抜きたいと・・・・。末っ子の退院日もなんとなく見えてきた頃だったので、できれば末っ子が入院している間にお願いします!!と伝えると来週か来月しか開きがないから来週かな・・・と(笑)
そんなこんなで2泊3日の入院が決定します。長男は24時間付き添いが必要になるのでもちろん私が付き添い。この3日間は今思い返してもよくがんばったの一言しか出てこないです。長男の入院準備に、入院中の相手、母乳の時間には末っ子のところへ行って、戻ってきて麻酔のせいで朦朧としている長男を励まして、家族への連絡に長女のフォロー。ほんとよくやった、私。
そして、長男も無事退院した数日後、末っ子もいよいよ退院することに!
出産してからちょうど3か月後の日に退院して家に帰ることができました(*´▽`*)
退院してからの生活
退院して1週間後に長男の卒園式がありましたが、退院したばかりの末っ子を誰にも預けることができないと思ったので私は残念ながら出席できずパパに出席してもらいました。長男もそう思っていたようでパパあての手紙を書いていたようです。
末っ子は家に戻ってから入院中のリズムが崩れたのか最初の頃はよく泣きました。そして、その度に血中酸素飽和度の数値を見ては冷や汗を流しながら泣き止ませるために必死に生活を送っていました。夜中も泣ききる前に母乳を飲ませなきゃ!ととにかく必死。めちゃくちゃピリピリしていました。退院してから3か月は実母に毎日来てもらっていましたが、実母も最初はオロオロするので結局自分がしっかりしなきゃって思ってました。
退院してからは母乳も良く飲み離乳食も順調に進みしっかり食べる子だったので、しっかり体も大きくなりました。と言っても平均よりは小さめよりですが・・・。今も動き過ぎると呼吸が少ししんどそうになったり、変な音の咳をして救急外来へ慌てて行くこともたまにはありますが、元気に育っています。
生まれつきの声帯麻痺という症状がインターネットで探しても情報が出てこず不安な日々を過ごしていたので、もし末っ子のように生まれつき声帯麻痺がありますという診断を受けた方がいれば、こういう症状で普通に生活できるようになった例もあると参考にしてもらえたらいいなと思います。
ただ、すべての子が同じようにはならないと思うので、担当医の言葉をしっかり聞いて自分で調べれることは調べて夫婦や家族で判断・決断してくことが大事だと思います。
*末っ子は2018年生まれなので入院中の話などはコロナ前のことになります。